フジモリ元大統領の現在や特赦とは?獄死するほどの罪って何?

こんにちは。

 

嫁さんに聞かれました。

『ペルーのフジモリ元大統領ってなんで捕まってんの?

ペルーの大統領やのに日本人なん?』

 

確かに名前は聞きますが、詳しいところはあまり知らないですね。

気になったので調べることにしました。

 

<12/25追記>

フジモリ元大統領への恩赦が決定しました。
最高のクリスマスプレゼントですね^^

ペルー大統領府は24日、クチンスキ大統領が、在任中の人権侵害などで禁錮25年の刑に服しているアルベルト・フジモリ元大統領(79)の恩赦を決めたと発表した。

 フジモリ氏が自由の身となるのは事実上、亡命先の日本を離れた2005年11月以来12年ぶり。

 フジモリ氏は急な血圧低下のため、23日からリマ市内の病院に入院している。

 フジモリ氏は近年、がんの手術を受けたり、血圧の低下で頻繁に救急搬送されたりするなど健康状態が悪化。クチンスキ氏は今年6月ごろから「獄死させたくない」などとして、医師団が健康上妥当と判断した場合、恩赦を実施する考えを示していた。 

引用:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171225-00000016-jij-int

 

ということで、

今回の嫁に聞いた話はコレです。

「フジモリ元大統領の現在や逮捕の理由と特赦の意味」

 

気になったところは

・フジモリ元大統領の現在
・逮捕の理由
・特赦の意味

 

結論から言うとこんな感じでした。

・禁固25年で収容中
・大統領時代の軍の運用責任と人権侵害
・罪は残るけど刑はなしになること

 

詳しくはこれからお話ししていきますね~^^

フジモリ元大統領ってどんな人?

まずはフジモリ元大統領とはどんな人なのか調べてみました。

 

名前:アルベルト・ケンヤ・フジモリ・フジモリ

(Alberto Kenya Fujimori Fujimori、

現日本名:片岡 謙也(かたおか けんや)

旧姓:藤森 謙也(ふじもり  けんや) 

生年月日:1938.7.28

出身地:ペルー(リマ)

国籍:ペルー、日本

職歴:学者、政治家、第91代大統領(1990.7~2000.11)

 

フジモリ元大統領の生い立ち

フジモリ元大統領のご両親は熊本県の飽託郡河内村(現・熊本市西区河内町)というところから、1934年にペルーへ移り住みました。

つまり、フジモリさんは移民の子供としてペルーで生まれたいうことですね。

 

フジモリさんはそのままペルーで育ち、日本でいう小~高校教育も受けました。

1957年にペルーにあるラ・モリーナ国立農科大学の大学院で農業工学を専攻。

1961年には「クラスの主席」で卒業しています。

 

秀才ですね。

「メガネ」を中指でクイッってあげたりするみたいなw

 

その後は、1962年にラ・モリーナ国立農科大学で数学講師に就き、その後、助教授~教授と昇進。

 

フランスのストラスブール大学とアメリカ合衆国のウィスコンシン大学ミルウォーキー校大学院への留学して、「一般数学」と「物理学」の博士号を取得。

 

ラ・モリーナ大学へ戻ると理学部長~大学総長に就任。

併せて、ペルー大学の評議会議長も2期務めました。

 

なぜか、ペルー国有テレビの「オンセルタンド」っていう討論番組の司会をやったりもしています。

 

ペルー国内では頭も良くて有名な方テレビにも出演する有名人だったんですね。

 

フジモリ元大統領の政治活動

テレビにも出て、知名度と人気が高まっていたフジモリさんは政治家を目指しました。

 

1990年、いきなり大統領選に出馬。そして勝利!

政治家の経験もほとんどなかったのにいきなり大統領になってしまったんです。

 

絶大な人気があったんですね。

 

勝利できた理由は2つ。

  • 当時の大統領への不信感が高まっていた。
  • 対立候補(マリオ・バルガス=リョサという世界的な作家さん)の政策がうさん臭かった。

 

フジモリさんは「仕事、科学技術、勤勉」というスローガンでペルーの近代化を進めるという政策で国民を味方につけたことが勝利の要因だったようです。

 

ちなみに、東アジア出身の人がラテンアメリカ諸国のトップに立ったのは世界初だそうです。

 

当選後、1990年から1992年までの2年間、ペルーの大統領に就任しました。

 

功績は「フジショック」と呼ばれる経済改革があげられます。

これは、国内の経済に関する整理や法律改正、外国資本の誘致などを積極的にやった結果、外国との貿易額を大幅に改善してペルーの経済状況を劇的に建て直したというものでした。

 

数学的なキレのある考え方が良かったみたいですね。

 

ただ、ペルー国内では前政権の派閥や恩恵を受けなかった国民層らのシガラミが残っていました。

もっと大きな改革が必要と考えたフジモリさんは前政権の息がかかっている議会議員と関係機関の人達を一掃するため、新しい憲法を作ることにしたそうです。

 

そして、憲法を通すために議会解散し、再び、選挙に勝つことで新憲法を制定しました。

 

 

これは「セルフ(自己)クーデター」なんて呼ばれたようです。

 

このクーデターを国民の約73%が支持したという結果もあるので、日本でいうと「小泉首相」のような感じのカリスマ性があったのでしょう。

 

自分で力を握るため、いたる所に根回しして憲法まで変えて邪魔者を一掃してしまうという、かなり戦略に長けた人だったんですね。

 

その後は2000年11月まで10年間にわたって大統領に就任しました。

 

フジモリ元大統領の現在

では現在のフジモリさんはどうなっているんでしょうか。

大統領を辞めた後は、

「悠々自適な生活でもされているのだろうなぁ」

と思って調べていると衝撃の事実!

 

捕まって投獄されてました。

 

現在の状況は「禁固25年」の実刑を受けてペルーの刑務所に収容されてます。

 

ちなみに、「禁固」は刑務所に収容されて監視されるだけで、懲役のような労働はありません。

 

 

 

では、いったいどんな理由で逮捕されたんでしょう。

 

逮捕・投獄された理由

フジモリ元大統領が逮捕、投獄された理由を調べてみました。

 

内容を見てみると、めっちゃややこしかったので、カンタンにまとめてみると、

  • ペルー軍特殊部隊による民間人殺害事件の責任
  • 出生率を調整するため「強制避妊」させた
  • 公金横領
  • 二重国籍を隠して大統領になった

 

この4つのうち、禁固25年の実刑となったのは軍の責任という部分だけで、その他は罪としては確定しませんでした。

 

ペルー軍特殊部隊による民間人殺害事件というのは

ペルー国内で「センデロ・ルミノソ」という反政府組織のゲリラ活動(テロ)の鎮圧に軍の特殊部隊を使った際、民間人を犯人と見間違えて誤射して殺害してしまったという事件です。

 

これっていわゆる「任命責任」という部分なので、フジモリさんからしたら避けようがないところだと思います。

 

ちなみに、ペルーの特殊部隊と言えば、

「日本大使公邸へのゲリラ襲撃事件」

がありますが、事件の時の大統領もフジモリさんでしたね。

 

人権侵害については

ペルー国内で貧困層が住んでいる地域での出生率が高かったため「強制的に避妊させた」という内容で、1996年~2000の間に、30万人以上の女性に不当な不妊手術をさせたと言われています。

 

貧困者が増えると国内財政的にも対応が厳しくなるので、貧困者を増やさないという考えで行われたようです。

 

考え方は一理あるかも知れませんが、かなり強引かと感じます。

子供が増えても養っていけるように、他の部分で無理してもらいたかったですね。

 

特赦の意味

2010年に禁固刑が確定して、現在収容されているフジモリさんですが、

体調がよろしくないようです。

 

そこで、現ペルー大統領のクスチンキ大統領がフジモリさんに「特赦」を与えようと話しているそうです。

ペルーのクチンスキ大統領は6日のRPPラジオのインタビューで、人権侵害などで25年の禁錮刑に服しているフジモリ元大統領(79)について「フジモリ氏であろうと誰であろうと、収監されている高齢者の健康状態は注意深く見守っている。もう一人の(獄死した元大統領)レギアは出したくない」と述べ、特赦を強く示唆した。 

引用:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171007-00000022-jij-int

 

年齢も80歳手前なので、収容のストレスに耐えるには体力的にも厳しいところです。

 

特赦は恩赦の内の1つで、

「有罪の言い渡しを受けた特定の者に対して、その効力を失わせること。」

 

つまり、大統領の権限で「禁固25年」を取っ払うってことです。

 

恩赦には

  • 大赦
  • 特赦
  • 減刑
  • 刑の執行の免除
  • 復権

この5つがあるそうです。

ちなみに「大赦」と「特赦」の違いは

罪自体が「消える」か「消えないか」です。

 

今回のフジモリさんの場合は「特赦」なので、

「罪は残るけど刑はなしね」

という措置になります。

 

嫁に話した結果

以上の内容を嫁さんに話してみました。

 

嫁さんの反応

『結局、自分は悪くないのに捕まったパターンやん。

完全なとばっちりやね。

かわいそうやわ~。』

 

 

発展途上の国は「独裁色」が強いので、何かと難癖付けられて失脚させられるのはよくある事ですね。

タイのタクシン派とかもそんな感じやし。

 

フジモリさんのペルーに残した功績はとても大きなものだと思うので、今回の特赦は通ってほしいなと思います。

 

それではまた。

1 COMMENT

シゲ爺

ふぅーん あの一世を風靡する勢いとステータスに満ち溢れた元大統領を獄中生活に追い込む世論(異国の)って恐ろしいですよね〜革命家はそれに反する財閥に追いやられるってまるで映画の様な真実が現実にあると言う 平和ボケの日本では考えられない真実だと肝に命じました

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