はんにゃ病気と消えた理由は?しくじり先生で公表!

4月4日(月)の2058~2315に放映された「しくじり先生 俺みたいになるな!!2時間スペシャル」のしくじり先生に、お笑いコンビ「はんにゃ」の川島章良さんと金田哲さんが登場しました。

かつては「爆笑レッドカーペット」などのお笑いブームで一躍注目を集め、「好きなお笑い芸人ランキング」で1位を獲得。ドラマやCMに引っ張りだこだった2人ですが、突然テレビから消え、話題にも上らなくなりました。

なぜテレビから姿を消したのか?

その理由について、2人は「大病を患ったため」と言います。

2人を襲った大病とはいったいどのようなものなのでしょうか。詳しく調べてみます。

はんにゃプロフィール

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はんにゃ:川島章良(かわしま あきよし 1982年1月20日)

     金田 哲(かなだ さとし 1986年2月6日)

所属:吉本興業(2004年 04月 NSC東京校東京10期生)

同期:オリエンタルラジオ・トレンディエンジェル・フルーツポンチなど

出会い:養成学校吉本総合芸能学院東京校(NSC)で出会う。アドリブで合同コントをする授業で、組んだところ評判が良かったのがきっかけで、2005年にコンビを結成した。2人ともNSC時代はお笑いの授業にはあまり参加していなかったが、ダンスの授業には頻繁に出席していた。NSCの同期になどがいる。

コンビ名の由来:コンビ名にカタカナや横文字が多い中、一線を画す和風の名前を付けたいということで考えた。ウソか本当かコンビ名に“ん”の付く芸人が人気が出るというを信じてコンビ名を決定。

人気絶頂期の代表作

【コント】

「ズクダンズンブングンゲーム」

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班長

はい、セッツ!
班長~!動きのキレが半端ないですよ~!

新入り

「転校生」

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「コッペパン」

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2人の絶頂期から失墜の理由

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2009年の人気絶頂期には年間504本の番組に出演し「男前だと思う芸人第1位」「癒してほしい芸人第1位」「美肌だと思う芸人第1位」に選ばれるほど人気を独占していた2人。

 

出版した写真集「うらっつら」が初版5万部を売り上げ、グッズの売り上げ10億円以上、「ピラメキたいそう」などの音楽活動までやってみたりと、当時は芸人ではなく「超人気アイドル」として扱われていたと話し、横断幕が張られる、専用出入り口設置、などジャニーズメンバーのような感じであったそうで、実際に川島さんはタッキーに似ているとまで言われていたほどでした。

 

はんにゃ

 

この当時を振り返り、いきなり急に売れ出したため自分たちの将来を簡単に考え「まずはゴールデンでMCっしょ」くらいの目標しか立てていなかったそうです。2人は普通のコンビは頭脳派とバカが組むところ、バカとバカで組んでしまったことが原因だと反省し、頭脳派を入れてトリオにするかという話まであったそうです。

 

ただ、「天狗になったらオリラジみたいになるぞ」という事だけは気に留めていたそうで、オファーは全部受けるという行動に出た結果1日12本の収録や250日休みなしなど平均睡眠時間1~2時間までに減り収録中に寝てしまったりするようになったそうです。

 

そして思考力が下がった最悪の結果として「プリ田プリ男」や「おしりとり」など「ネタの発想が小学生レベル」になってしまったため大人に見限られ、今までいた大多数のファンが一気に消えていなくなってしまいました。 ← 集団で神隠しにあったと思ったそうです!

 

結果として、「マジで笑えない芸人芸人第1位」となりレギュラー番組を全降板するまでに落ち込んでしまいました。

焦った2人はデビュー6年目にしてようやく「笑いの勉強」を始めました。

 

先輩芸人さんと付き合いを始めいろんな話を聞いてみると、みんながすごく勉強していることに驚き「マジ神」と尊敬。

やったことのない漫才に挑戦!

 

結果は「THE MANZAI」で「爆スベリ」し予選1回戦敗退。アガりまくってマイクにツッコミを入れるほどだったとか。

 

 

漫才の失敗から2人の間もギクシャクし歩調が合わなくなり金田さんが「お前とやってても1つも楽しくない」と言ってしまうほど仲が冷め切ってしまったそうです。

ネタ合わせなしでのライブ参加とかがザラにあったとか。

 

 

最終的な失敗の理由「実力不足に気づかなかった」

 

 

俺もお笑いで天下獲りて~!

おいっ!コンビ組むぞ!

先輩

新入り

先輩ごめんなさい。

本物の「バカ」とは組めないですよ~!

 

 

はんにゃを襲った病気とは?

2014年11月4日に川島さんが腎臓がんを発症。当時付き合っていた彼女が妊娠していて結婚間近だったのを機に健康診断を受けようと思い、その時にわかったそうです。

 

すでに冷め切っていた金田さんにとりあえず相談するも、金田さんも焦ってしまい何も言えなかったそうな。

その時、川島さんはまさか自分がガンになるとは考えていなかったため保険に未加入。

 

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2014年年末に未公表のまま摘出手術に臨みました。

 

金田さんはこの時「2人でもうお笑いができないかもしれない」と2人の関係を見つめ直したそうです。

 

手術は無事成功し、仕事復帰を果たすことができました。その顔を見た金田さんはうれしさと安堵と照れから笑い転げたそうです。

その時に改めて、初めてコンビを組んだ時のことを思い出したそうで、その場はとても幸せな空間だったと語っていました。

 

生きること、相方の事を深く考えなおすことにより2人の関係も元に戻ったそうです。

まとめ

 

「今に全身全霊で打ち込むことが未来を作る」

 

2人が人気絶頂からどん底へ落ち、関係悪化や病気などから考え出した結論はとてもシンプルですが説得力にあふれた力強い言葉でした。

 

今は「もしもツアーズ」の準レギュラーとして再起を図る2人。

今後の活躍を応援したいと思います。

 

 

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